2015年11月11日水曜日

高齢者教室

ほがらか大学「音楽を楽しむ」
日時 11月9日(月) 10時
場所 金山公民館講堂
講師 片江 欣夫 氏


 「昭和歌の歴史」⑨
歌にまつわるエピソードやその当時の時代背景・歴史をユーモアを交えながら楽しく解説して頂きました。

最後は「洒落男」を、先生もご一緒の大合唱で終了。


「ストトン節」s.3.10 二村定一 演歌とは川上音二郎が演じたように、演説の歌という意味で、この曲は本当の演歌といえる。
「洒落男」s.5.1 二村定一 初任給は20円の時代。蓄音機は40円から80円と高価で、20円以下のポータブルが出始めて急速にレコード音楽が普及した。
「わたしこのごろ変なのよ」s.6.7 藤野豊子(本名・四家文子) 男女別学の時代。音楽大在学中の四家が軟弱な歌を歌ったとして卒業名簿から除籍の危機。軍部からも発売禁止の命令を受ける。
「わすれちゃいやよ」s.11.2 渡辺はま子歌詞の「ねぇ」「いゃあょ」の半音下がる歌唱に色気がおるとのことで、軍部検閲にかかり発売禁止となる。この事が影響してコロンビアに移籍。在籍の藤山一郎と一緒に早大の応援歌を指導。指導後、歌唱を求められ、新人である渡辺はこの一曲しかなく歌ったところ、その夜の銀座は応援歌ではなく、この歌で大賑わいとなる。その後、「真白き富士の嶺」や「支那の夜」などの大ヒットでビクターは悔しい思いをした。
「チンライ節」s.13.8 樋口静雄 チンライとはいらっしゃいという意味。歌詞からして反戦歌です。戦友の歌(同期の桜)とともに永く愛唱された。
「毒消しゃいらんかね」s.28.4 宮城まり子 彼女は捨て子の身の上で旅回り一座に育てられる。歌がうまく、5・6歳の頃から「宮城まり子一座」として全国を巡業、有名になる。静岡の「しいのみ学園」はその生い立ちから彼女の私財を投入して運営を続けた。
「若いお巡りさん」s.31.3 曽根史郎 大ヒットに警視庁の職員一同の前で公演。当時の社長、野村吉三郎(元海軍大佐)は警視総監等幹部を前に、「このような警察官になりなさい」と訓示した。・・・等々 全16曲のエピソードを語っていただく、あっという間の2時間でした。